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株式会社 レノファ山口

成長する山口のJリーグクラブふるさとを思う気持ちに寄り添って

株式会社 レノファ山口

長身をストロングに トップレベルで活躍

「郷土への思いや情熱を持っている人たちがたくさんいて、それを僕らがサッカーというスポーツで表現させてもらっています」
Jリーグクラブを運営する株式会社レノファ山口。河村孝社長は形ある物やサービスではなく、サッカーがもたらす感動や山口という土地を思う気持ちに寄り添って仕事に取り組んでいます。
「地元で起業して何代もやっている人たちも、山口からどんどん外に向かって出て行った人もふるさとを大切に思い、もっと山口を元気にしたいと考えています。サッカーを見て感動し、元気をもらう。それは理屈ではないですが、大きなコンテンツになってきていると思います」
河村さんは高校卒業後、Jリーグの前身に当たる日本サッカーリーグ(JSL)所属のマツダに入社。1年目は新卒社員として働きながらサッカーをし、2年目から事実上のプロ選手として歩み出します。
選手としては得点に直結するフォワード(FW)が持ち場。186センチの長身と熱い闘志をストロングに戦い、1990~91年シーズンは17試合で8ゴールを挙げて1部昇格に貢献します。当時からのニックネームは「ジャンボ」。91~92年シーズンは「高木琢也さんとの2トップでプレー」し空中戦を生かした攻撃力で他チームを圧倒しました。
同年でマツダを退団。「当時はレンタル移籍制度もなく、次のチームがあるとは思わなかったですが、今で言うレッズ(三菱自動車工業)とフリューゲルスから声が掛かりました」と評価を受け、横浜フリューゲルスでJリーグ開幕(93年)を迎えました。

株式会社 レノファ山口

サッカースクール創設 12年にはレノファの監督へ

サッカー選手を引退後、防府市にあるマツダのグラウンドを借りてサッカースクール(レオーネ山口)を開設します。手探りのスタートでしたが、「元気の良さ」で熱く指導。昼間は募集チラシを配り、夕方から夜はサッカーを教え、深夜は別の仕事を掛け持ちするというハードスケジュールながら、「全く苦にはならなくて、楽しかった。子どもも二人目が生まれて、絶対に頑張らないといけないと思っていました」と当時を振り返ります。
レオーネ山口はリオ五輪に出場した原川力選手、女子日本代表の田中陽子選手などを輩出。軌道に乗り始めた頃に転機が訪れました。県教員団を改組してJリーグを目指していたレノファ山口FCの故・宮成隆GM(当時)からオファーを受けたのです。
「宮成さんから何度も連絡をいただきました。自分も山口で育った人間で、サッカーで育ててもらった人間ですから、そこまで言っていただけるならと話を受けました」
2012年に監督に就任しますが、経営やチーム力の基盤がもろく、「必死にやらなければ潰れるという危機感がありました」と全力を投入。宮成さんの体調不良を受けて、GMを引き受けただけでなく、Jリーグチームを作るという意志も引き継ぎます。
「残りのリーグ戦を乗り切るために二千万円が必要で、債務超過もありました。超過分は自分が返していくからと約束して理事の人たちに借りてもらい、二千万円をどう集めていくか」クラブ存続に向けた改革は待ったなし。石原正康さん(現GM)、内山遼祐さん(現運営部長)など当時20代の熱意ある元選手たちに声を掛け、再び手探りの経営が始まりました。

株式会社 レノファ山口

大きなビジョンに向かい 一層のステップアップ

「選手もやっていましたし、育成組織も自分で立ち上げて指導し、会社も経営してきました。Jリーグクラブで必要なセクションを全て、自分が経験してきたというのは他のクラブにはないアドバンテージです」
NPO法人での運営だった組織を株式会社化して、13年からは社長として陣頭指揮。14年にJFLで4位に入りJ3昇格、翌年はJ3優勝で念願のJ2入りを果たします。河村さんの獅子奮迅と経験がスピード感ある昇格につながりました。
今後も基盤作りをしながらJ1を目指しますが、将来は「山口県出身者によるチームを実現させたい」と話す河村さん。大きなビジョンと地道な活動が果実を結ぶと信じ「失敗してもいいので積極的にチャレンジできる人材を求めています」と呼びかけます。
山口に夢を運ぶ、山口のチーム作りへ。河村さんのサッカー人生は今なお選手時代と変わらず輝いています。

株式会社レノファ山口の取り組み
●山口県唯一のプロスポーツチーム

レノファは「維新」「戦う」「元気」の英単語を組み合わせた造語。チームカラーは山口県をイメージさせるオレンジ色です。県内唯一のプロスポーツチームとして、夢と誇りを抱いてJリーグの舞台で戦っています。

株式会社 レノファ山口
●地域と手を携えた社会貢献活動

2017年に県内の全市町がレノファのホームタウンとなりました。スタジアムで各市町をPRしたり、選手やマスコットが出向いたりして、地域とともに山口県の魅力や活力アップを目指しています。

株式会社 レノファ山口
●スポーツを地域の活力に

アカデミーや女子チームの活動を強化しているほか、行政や民間企業と連携した健康増進活動も乗り出し、18年は明治安田生命保険との協業でアプリを活用したウォーキングイベントを開催しました。

株式会社 レノファ山口

『ギラギラとした大志を抱き、何事にも取り組める若者にチャンスを』

株式会社 レノファ山口

INFORMATION

株式会社レノファ山口

株式会社レノファ山口

〒753-0067 山口県山口市赤妻町3-5
TEL:083-941-6792
FAX:083-941-6794
MAIL:info@renofa.com
URL:http://www.renofa.com

株式会社 レノファ山口

成長する山口のJリーグクラブふるさとを思う気持ちに寄り添って

株式会社 レノファ山口

長身をストロングに トップレベルで活躍

「郷土への思いや情熱を持っている人たちがたくさんいて、それを僕らがサッカーというスポーツで表現させてもらっています」
Jリーグクラブを運営する株式会社レノファ山口。河村孝社長は形ある物やサービスではなく、サッカーがもたらす感動や山口という土地を思う気持ちに寄り添って仕事に取り組んでいます。
「地元で起業して何代もやっている人たちも、山口からどんどん外に向かって出て行った人もふるさとを大切に思い、もっと山口を元気にしたいと考えています。サッカーを見て感動し、元気をもらう。それは理屈ではないですが、大きなコンテンツになってきていると思います」
河村さんは高校卒業後、Jリーグの前身に当たる日本サッカーリーグ(JSL)所属のマツダに入社。1年目は新卒社員として働きながらサッカーをし、2年目から事実上のプロ選手として歩み出します。
選手としては得点に直結するフォワード(FW)が持ち場。186センチの長身と熱い闘志をストロングに戦い、1990~91年シーズンは17試合で8ゴールを挙げて1部昇格に貢献します。当時からのニックネームは「ジャンボ」。91~92年シーズンは「高木琢也さんとの2トップでプレー」し空中戦を生かした攻撃力で他チームを圧倒しました。
同年でマツダを退団。「当時はレンタル移籍制度もなく、次のチームがあるとは思わなかったですが、今で言うレッズ(三菱自動車工業)とフリューゲルスから声が掛かりました」と評価を受け、横浜フリューゲルスでJリーグ開幕(93年)を迎えました。

株式会社 レノファ山口

サッカースクール創設 12年にはレノファの監督へ

サッカー選手を引退後、防府市にあるマツダのグラウンドを借りてサッカースクール(レオーネ山口)を開設します。手探りのスタートでしたが、「元気の良さ」で熱く指導。昼間は募集チラシを配り、夕方から夜はサッカーを教え、深夜は別の仕事を掛け持ちするというハードスケジュールながら、「全く苦にはならなくて、楽しかった。子どもも二人目が生まれて、絶対に頑張らないといけないと思っていました」と当時を振り返ります。
レオーネ山口はリオ五輪に出場した原川力選手、女子日本代表の田中陽子選手などを輩出。軌道に乗り始めた頃に転機が訪れました。県教員団を改組してJリーグを目指していたレノファ山口FCの故・宮成隆GM(当時)からオファーを受けたのです。
「宮成さんから何度も連絡をいただきました。自分も山口で育った人間で、サッカーで育ててもらった人間ですから、そこまで言っていただけるならと話を受けました」
2012年に監督に就任しますが、経営やチーム力の基盤がもろく、「必死にやらなければ潰れるという危機感がありました」と全力を投入。宮成さんの体調不良を受けて、GMを引き受けただけでなく、Jリーグチームを作るという意志も引き継ぎます。
「残りのリーグ戦を乗り切るために二千万円が必要で、債務超過もありました。超過分は自分が返していくからと約束して理事の人たちに借りてもらい、二千万円をどう集めていくか」クラブ存続に向けた改革は待ったなし。石原正康さん(現GM)、内山遼祐さん(現運営部長)など当時20代の熱意ある元選手たちに声を掛け、再び手探りの経営が始まりました。

株式会社 レノファ山口

大きなビジョンに向かい 一層のステップアップ

「選手もやっていましたし、育成組織も自分で立ち上げて指導し、会社も経営してきました。Jリーグクラブで必要なセクションを全て、自分が経験してきたというのは他のクラブにはないアドバンテージです」
NPO法人での運営だった組織を株式会社化して、13年からは社長として陣頭指揮。14年にJFLで4位に入りJ3昇格、翌年はJ3優勝で念願のJ2入りを果たします。河村さんの獅子奮迅と経験がスピード感ある昇格につながりました。
今後も基盤作りをしながらJ1を目指しますが、将来は「山口県出身者によるチームを実現させたい」と話す河村さん。大きなビジョンと地道な活動が果実を結ぶと信じ「失敗してもいいので積極的にチャレンジできる人材を求めています」と呼びかけます。
山口に夢を運ぶ、山口のチーム作りへ。河村さんのサッカー人生は今なお選手時代と変わらず輝いています。

株式会社レノファ山口の取り組み
●山口県唯一のプロスポーツチーム

レノファは「維新」「戦う」「元気」の英単語を組み合わせた造語。チームカラーは山口県をイメージさせるオレンジ色です。県内唯一のプロスポーツチームとして、夢と誇りを抱いてJリーグの舞台で戦っています。

株式会社 レノファ山口
●地域と手を携えた社会貢献活動

2017年に県内の全市町がレノファのホームタウンとなりました。スタジアムで各市町をPRしたり、選手やマスコットが出向いたりして、地域とともに山口県の魅力や活力アップを目指しています。

株式会社 レノファ山口
●スポーツを地域の活力に

アカデミーや女子チームの活動を強化しているほか、行政や民間企業と連携した健康増進活動も乗り出し、18年は明治安田生命保険との協業でアプリを活用したウォーキングイベントを開催しました。

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『ギラギラとした大志を抱き、何事にも取り組める若者にチャンスを』

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〒753-0067 山口県山口市赤妻町3-5
TEL:083-941-6792
FAX:083-941-6794
MAIL:info@renofa.com
URL:http://www.renofa.com

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